1992-12-07 第125回国会 参議院 商工委員会 第1号
また、鳥取県全体の重点課題として、姫路-鳥取横断道等高遠交通体系の整備、日ソ友好親善訪ソ団等、ロシア、中国などとの環日本海の交流活発化、ハイテク企業の誘致等産業の高度化に努めていきたいとのことであります。
また、鳥取県全体の重点課題として、姫路-鳥取横断道等高遠交通体系の整備、日ソ友好親善訪ソ団等、ロシア、中国などとの環日本海の交流活発化、ハイテク企業の誘致等産業の高度化に努めていきたいとのことであります。
しかし、過去を忘れて大統領は、日本の人たちに、自分は感謝している、ここにソ連の人たちがたくさん葬られて手厚く祭られているということに感謝しているということをぜひ伝えてもらいたいということを長崎の日ソ友好の碑の前で言われました。こういうふうなことを越えて両国がこれから新しい関係をつくっていくということが私は大変大切ではないか、このように考えております。
特に最近、この韓ソ関係の進展は著しいものがあるわけですし、特にこの韓ソ友好協力条約の問題は、もしこれが締結されるとなればやはりこの地域の情勢にかなり影響を与えていくであろうかと考えられるわけで、またソ連としてもこの北と南に対する認識がかなり変わってきたのかという印象も持つわけでございますけれども、この問題につきまして外務省としてはどういう分析、評価をされているか、お聞きしたいと思います。
協定の内容につきましては、円滑な流通を確保するための措置の策定及び実施など九つの分野で、三年間にわたって政府による専門家等の派遣と受け入れ、それから公の機関の専門家等による会議の開催等の形で行われるようですが、日ソ友好条約早期締結のために、建設大臣としてはこの日ソ技術協定を初め建設行政に関連する公文書に対して今後どのような決意でお臨みになるのか、まず御決意をお伺いしておきたい思います。
それからもう一つは、ソ連側の自発的な意思によって返還されたという背景を踏まえて、返還された北方四島は日ソ友好のシンボル、日ソ友好の基地として位置づけていくという日本側の理念、哲学があってよいのではないか。この目的を達するためには、国有地にする必要がある。
もう一つは、日ソ友好への貢献という特別の目的を掲げていただきたいと思うわけであります。 三番目には、そういうことでありますから、この返還後の北方領土は特別地区に指定する必要があるのではないか。先ほど北海道開発庁に委託するということでございましたが、その点につきましてはそうではなく、北方領土は北海道とは別の特別地区に指定することが必要かつ適切ではないかと考えるわけであります。
漁業問題を初め経済的な問題、人的な交流の問題、あるいは去年コンスタンチン坊やが急遽日本に来たときには、やっぱり札幌という一番近い一番設備の整った病院に運ばれてきたということで、日ソ友好というものが一般国民の間にもプラスになっただろうと思うわけでありますけれども、今後こういう新しい展開がスタートするという期待の中で、北海道というのは、やはり一番近いわけですから、経済的にいっても人的にいっても果たすべき
私などの気持ちからすると、ようやく日ソ友好の新時代がやってきて、モスコーの空港で厳しいチェックを受けなくても済むなと、何となくそんなほのぼのとした感じになります。もちろん、日本は当然北方領土の返還というものも要求するだろう、あるいはソ連は経済の協力を要求してくるだろう、こういうふうに思われます。
○翫正敏君 外務省に日ソ友好問題についてお伺いをいたします。 日ソ平和条約締結問題に関する我が国の基本姿勢について簡単に御説明ください。外務省の方にお願いします。
さらに、ことしいろいろ、返還運動の標語を募集いたしまして、その中で一位になったものは「四島還り 日ソ友好 新時代」という標語が一等に当選になりましたのでございまして、この返還運動は、要するに平和的な話し合いによって返還を実現しようというのが一番根本の趣旨でございますので、その辺御理解をいただきたいと思います。
私は、日ソ友好を愛する方の立場として、両国に安定的な国家関係と民衆の関係ができ上がることを喜ぶ立場として御質問をするわけでございますが、お話しいただけるところをお話ししていただければと存じます。
ところで、最近日本でも、有識者と申しましょうか、インテリの人なんかがよく、世界の脅威はすべてなくなった、そして、米ソ新しいデタントのもとにおいてそういう脅威を対象にした政策をやることは間違いだ、だから日米安保あるいは日ソ友好というようなものをいろいろな面で議論しておられる方があります。 私は、現在一時的にしろ、確かに米ソはデタントし、核軍縮、それは世界の方向であると思います。
今回の中ソ友好三十年ぶりの回復というのは、そういう意味では非常に歓迎すべきことだと思いますが、先生御承知のように、世界の国々の武装というものは国際緊張にあるわけでございますから、緊張緩和というのは一番重要だと思うのでございます。
私は、十数年来、たまたま日ソ友好議員連盟の事務局長というのを亡くなった辻原さんからバトンタッチを受けて、役目柄円卓会議あるいは櫻内代表団の訪ソというようなことも含めて少なくとも十五回になりますか六回になりますか、単独でもソ連を訪問しました。そして、最初就任した当時は、日ソ両国の国会議員団の代表の相互交換というのが行き詰まった段階でございました。
日ソ友好を進める上での障害は、北方領土問題のほかに、日本がその一員である西側と東側との間に抜きがたいイデオロギー上の相互不信がある。すなわちソ連側がマルクス・レーニン主義を固執する限り、資本主義が高度化すれば必ず帝国主義に転化し対外的膨張政策をとらざるを得ないとのレーニンの帝国主義論の教説を守らざるを得ない。
実際問題、既に一九八〇年に失効しておりますかつての中ソ友好同盟条約、すなわち五〇年の二月十四日、そういう体制には返らないということを両者ともおっしゃっているわけでございますから、このことは大変結構なことだというふうに思っておるところでございます。 さて、しこうして日韓問題でございますが、これは私も大統領就任式典にも参りました。
ソ連の関係については、御承知のように、私は十数年来、自分が好きであるとか嫌いであるとかは抜きにして、石田前会長、櫻内現会長のもとで、事務局長として日ソ友好議員連盟の仕事を推進しておりまして、役目柄ソ連にも十数回行っておるわけでありますが、日ソ関係を考えてまいります場合も、ソ連との往来というのが冬の時代から見ると非常にふえてきておる。
昭和三十九年には、日本国会訪ソ親善使節団の団長としてモスクワを公式訪問され、当時のフルシチョフ首相やミコヤン第一副首相とまさにさきに述べたごとく腹を割った話し合いを行い、日ソ友好の礎を築き、大きな成果を上げられたのであります。
私は、たまたま日ソ友好議員連盟の事務局長を十一年前に仰せつかりまして、同僚議員の大変な御協力を得て、石田会長に仕え、今は櫻内会長にお仕えして議員会合を一生懸命やらせていただいて、政府の外交展開というものにできるだけタイアップしながら進めるということでやっておるわけでございます。
日中友好はアジアの平和と繁栄のかなめであり、それはまた日ソ友好もしかりであります。ハイテク、国際時代において、冷戦構造の遺物であるココムの見直しと、時には冷たく突き放す賢い自主的な通商外交があってしかるべきと思いますが、あなたが世界の軍縮と平和への寄与を言いますならば、総理及び通産大臣は、この視点についての見解をしっかりと述べていただきたいと思います。
いかに北方領土は固有の領土であり、表面的には日ソ友好を促進していくという姿勢を持ちながらも、私は、政府の意欲というかこの問題に対する熱意というか、その面でいささか何かわだかまりというか、それがあるのじゃないかという気がしてならないわけですね。 最近に至っても、ゴルバチョフ書記長の訪日というものがあれだけ話題になりながらそれも結局実現を見なかった。
日ソ友好に水を差すものであり、ゴルバチョフ書記長来日ということも延期になった、こういうような形でございますし、この事件に関して総理の御所見をお伺いしておきたいと思います。